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ラグビー

弱小ラグビー部を強いチームにする 序章 ラグビー部をマネジメント

ラグビー部との出会い

       

学生時代は、中学から大学までずっとラグビーをやっていました。

始めた当初はキツくて、辛くて。
こんなに長い期間続けるなんて思ってもいませんでした。

しかし、続けていくうちに不思議とラグビーの魅力にどっぷり浸かってしまいました。

今ではプレーこそしていませんが、スーパーラグビーのシーズンは
毎週Jsportsで試合を見ています。

そして、昔でいうトライネーションズ、
今でいうとラグビーチャンピオンシップも欠かさずみています。

そんな魅力溢れるラグビー。

私がラグビーを通して経験したこと、学んだことを改めて
書き溜めておこうと思い記事にしました。

 

今考えれば、ラグビーとの出会いも不思議な縁でした。
小学校の頃は中学受験を目指して学習塾へ通い、勉強ばかりしていました。

しかし、志望していた中学校の受験にことごとく失敗し、
私立の中学へ行くことなく公立の中学へ進んだことから人生が大きく変わります。

 

その地元の中学校にラグビー部があったのです。
友達と興味本位で練習に参加したのがきっかけで、入部することになりました。

初めての部活、しかも団体競技です。
部活の顧問の先生は体育の先生で180cmほどあるそれはゴツい先生でしたw

 

地元のラグビー関係者の中では、有名な先生でした。

まさにスクールウォーズを地でいくような先生で、荒れている中学校へ行っては
ラグビー部を作り、ヤンチャな中学生にラグビーを教えていたのです。

しかも、ラグビーも強くなるのです。

その先生が行く学校は次々と優勝するようになっていきます。

私が入った当時も、近県が集まった地方の大会でも3連覇をするような
部活になっていました。

中学でもちょっとヤンチャな人たちが集まっていました(笑)

市大会、県大会は学校が少なくて、3校とか4校でした。
その上の地方大会で常勝校でした。

 

そんな強い部活とは知らずに入ったが運の尽き。

練習は、ほぼ休みはなく、お正月休みくらいでしたね。

そんな部活では、とにかく練習についていくのが精一杯で
なんとか必死にくらいついていました。

 

何度、部活をやめたいと思ったことか・・・w

 

しかし、2年生でレギュラーの座を取ることができ、
当然のように市大会、県大会は優勝しました。

4連覇をかけて地方大会へ出場。

しかし、予選リーグでとあるチームに負けてしまうのです。

当時は予選リーグを4チームで総当たり。
上位2チームが決勝トーナメントへ進むという仕組みでした。

早々に予選リーグ1試合は落としてしまいました。
他の試合には全て勝つことができ、決勝トーナメントへ出場。

決勝トーナメントも無難に勝ち進み、念願の決勝戦へと辿り着きました。
これで勝てば地方大会4連覇!

これまでの先輩たちの栄光に華を添えるか、
泥を塗るか。

勝つか負けるかで大違いです。

 

しかし、決勝の相手は予選で負けたあのチームでした。
ただ、不思議と弱気になることもなく、試合を迎えることができたのです。

予選で負けていたのにも関わらず、決勝戦は予選とは打って変わって
息をつかせぬ攻防が続きました。

まるで予選のチームとは大違いの戦いができたのです。
点を取られては取っての応酬、シーソーゲームになります。

どちらが主導権を握るのか?

どちらも集中力を途切らせることはなく、接戦のまま試合は終盤へ。

点差7点で負けていました。

 

残りラストワンプレー。

しかし、うちのチームは誰も諦めた顔をしていませんでした。

むしろ、自信に満ち溢れ集中しきった表情でした。

7点はラグビーでは1トライとその後のキックで同点になる点差です。

こちらのボールで中盤から相手陣へ向けて攻めていました。

ミスをせずにボールをつなぎ続ける。
それだけを考えてとにかく必死に走り、ボールをキープし続けます。

 

外へ大きく展開しボールが繋がります。

バックスの一人が一瞬の相手の隙をついてデフェンスラインの裏へ抜けていく。
ディフェンスの狭い隙間をすり抜けて、相手を振り切って走り抜けていきます。

インゴールまで捕まることなく、ボールをインゴールで押さえ込み、

トライ!!!!

ラストワンプレーでのトライ。

その後のキックも入って同点!!

壮絶な試合の末、ラストワンプレーで同点に追いつきました。

中学の大会では同点だと、大会史上初の両校優勝という
劇的な結末になりました。

ほんと、ドラマかよっていうくらいの展開で、
観戦に来ていた父兄や先生もみんな号泣でした。

試合に出場して、初めての地方大会優勝。

ラグビーを始めて1年ちょっとでこんな経験することができ、
なんとも言えない達成感を得ました。

中学3年生にして部活の厳しい現実を知る

そして、一緒にプレーしていた先輩たちは引退。

ついに自分たちの代となります。

2年生の時の優勝で、地域大会を4連覇という輝かしい戦績を収めることができました。

3年で優勝できれば5連覇という強大なプレッシャーが掛かる中、
衝撃のニュースが部内を駆け回りました。。。。

 

 

顧問の先生が別の中学校へと異動になったのです。

 

優勝請負人とも言える顧問の転勤。

公立中学校の宿命ですね。

別学校からラグビー部の先生がこちらへ赴任してきて、顧問となりました。

しかし、その先生が前にいた中学はうちに勝ったことがない。
その先生が顧問で果たして勝てるのか?

という不信感が部員には色濃く残っていました。

 

前の顧問の先生も、2年間指導してきての異動となったので
見捨てることはなく、新しい中学校に行ってからも練習に来てくれていました。

また、新しい中学でもラグビー部を作り、週末は合同練習をして
指導をしてくれていました。

 

今考えると、前の顧問の先生、新しい顧問の先生、部員と
かなり微妙な関係性ですね。

先生同士もそれぞれに指導方針があったでしょう。
衝突することもあったでしょうし、新しい顧問の先生もやり辛かったと思います。

今となればそんな状態でも、一生懸命指導してくれた先生方には
本当に感謝しかないです!

 

そういった難しい環境の中で、最後の大会を迎えます。

 

県大会

順調に勝利を重ね、決勝の相手はライバルであった隣の中学校。
練習試合でも一度も勝てたことがなく、ついに最後の試合となりました。

結果は惜敗。

5連覇どころか、県大会で負けてしまったのです。

 

地方大会に出場はできるものの、
各県の2、3位のリーグ戦となるため下位リーグです。

決勝で負けた瞬間、現実を受け入れられず呆然とする部員たち。

2年の時の地方大会決勝の時のように、最後には勝てると信じていたのに。

現実はそんなに甘くありませんでした。

 

これまでに対戦した中では接戦の方でしたが、一歩及ばず。
4連覇してきた先輩方への申し訳無さと、自分たちだけが勝てなかったという
なんとも言えない無力感が容赦なく襲ってきました。

そのプレッシャーと残酷さは、中学生の時の私には
大きな精神的ショックでした。

そこで終わりではなく、まだ下位リーグでの参加ができるということで、
目標ができたことが良かったのかもしれません。

落ち込んでいる暇もなく、練習をしないといけないので。
下位リーグでの優勝を新たな目標に、再びラグビーと向き合うことになりました。

地方大会下位リーグでは、
順調に価値を重ねて優勝することができました。

 

しかし、結局は下位リーグという前置きがつきます。

この結果を受け入れることができず、いや、納得したくなかったのでしょう。

なんかモヤモヤしたまま、中学のラグビー人生を終えることになります。

このままラグビー人生を終えるのは嫌だ。
強く思い、高校でリベンジを果たそうと決めます。

おそらく、中学で優勝していたら高校で再びラグビーをやろうとは思わなかったでしょう。

県外のラグビー部が強い公立進学校へ

県外の強豪校へ進学したいと申し出、学校の担任、両親を説得して
受験勉強に励みました。

その強豪校は公立の進学校だったため、当時は県外からの推薦等はなく
一般の受験で合格するしか進学する方法がなかったのです。

中学受験失敗のトラウマに負けることもなく、また勉強の日々。

 

進学校で県内トップクラスの偏差値。

なんとなく中学受験をしたあの時とは違い、
自分から行きたい道を決めての受験だったので、
これ以上ないくらい勉強しました。

部活で夏の大会が終わってからの約半年、過去問を手に入れ、
参考書を買い込み。

試験対策に没頭しました。

中学受験の経験もあったので、試験勉強や学習に対しては免疫がありました(笑)

 

その必死の勉強の甲斐もあって、受験は合格!!

 

無事、入学することができました。

ちょうどタイミングよく、私たちが3年次に学校の創立周年が重なっていました。
そのため、各部とも力を入れており県内の選手が集まってきていました。

 

今回はここまで・・・・