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ラグビー

弱小ラグビー部を強いチームにする 第1章 下積みと経験

ラグビー部 強豪校へ入学

無事に高校受験に合格し、入学することができました。

今となっては時効ですが、公立高校の越境入学なので本当はルール違反ですよw
ただ、当時も毎年県外からの生徒はいました。

県外からの生徒を受け入れる下宿があり、県外組はみんな下宿へ入っていました。
3食付きで、部屋は完全な個室というかアパートみたいな部屋です。

かなりボロかったなぁ〜。

プレハブの部屋で、隙間だらけだったので夏場は暑いし蚊も多い。。。

ベープマット焚いて寝ると、朝には床に20匹以上の蚊が落ちてましたw

お風呂も、昔ながらの正方形の浴槽があるだけ。

住居棟1棟の中で給湯器が共有されてたのか
突然、お湯が冷水に変わっている事も多々ありました。

そのため、お風呂を溜めていると
最初はお湯が出てたけど、最後の数分が冷水で入るとめっちゃ冷たくて
驚くという事もしばしば。

そんな環境で15歳にして初めての一人暮らし。

希望と不安の募る中、スタートしました。

強豪校のラグビー部はスポーツエリートの集まり

ラグビー部は県内でも有名な学校で、学校を代表する部活でもありました。

県内からは毎年推薦で選手が集められており、私の代も10人近くいました。
新入部員が25人ほど。

部活全体で60人ほどの所帯でした。

同級には、ラグビー、サッカー、野球、陸上の砲丸投げ経験者などなど
中学時代に実績を残した様々なスポーツ部の経験者が集まっていました。

みんな体格が良く、運動神経も良かったですね。

体格だけで言えば、私はフォワードの中では小さい方でした。

地域大会優勝へ

当時は、県内で負けなし。
地域大会で優勝できるレベルのチームでした。

その地域には強豪校が数チームあり、全国大会でもベスト4〜8の常連校でした。

1年、2年の時はとにかく練習についていくのが精一杯でした。
2年の時も試合に出るのはごくたまに。

ポジションで2番手に入れるかどうかぐらいでした。

1年時、2年時は地域大会で優勝候補には名を挙げつつも、2位や3位になることが続きました。

そして3年時の新人戦はついに、地域大会で同点優勝。
(って今書いてて思ったけど、また同点優勝だったんだな。。。)

夏の国体にも出場することができました。
国体でもベスト8に入り好成績を収めることができたのです。

公式戦で勝てる部活と勝てない部活

ラグビーは本番が冬です。

特に高校ラグビーの全国大会は年末から年始にかけて、大阪の花園ラグビー場で
開催されます。

3度目の全国大会。しかし、出場は初めて
しかも、私の代はそれまでの戦績が評価され、シードで出場できました。

クリスマス前に出発し、大阪の会場近くのホテルに陣取り
ホテル近くのグラウンドを借りて、大会初戦まで調整練習を行います。

正直、うちの母校は公式戦とくに全国大会では成績を残せていませんでした。

本番に強いという言葉があるように、
練習試合や予選では強くても公式戦本番で勝てるチームには共通点があります。

 

ラグビーにつきものの怪我と病気

高校時代は怪我と病気に悩まされました。

2年時には目の病気で手術をし、選抜に選ばれるものの参加することができませんでした。

3年時には地域大会の準決勝で足首を骨折。
決勝戦はテーピングと痛み止めの注射を打って出場しました。

それ以来、足首は靭帯が伸びてしまって今でも緩いですw

そして、スクラムで腰と膝を痛めました。
体格が小さい方というのもあり、練習からデカい相手に負担が掛かっていたのもあるのでしょう。

膝と腰は軟骨がすり減ってしまっています。

コーチや顧問が押し付けるだけの部活

正直、高校の時はチームは強かったです。
本気で全国を狙っていましたし、メンバーもレベルが高かったです。

しかし、練習、試合をしてても面白くはありませんでした。

なぜか?

それは、ただ監督の言うようにやっていただけだからです。

練習の意図や戦術なども理解できていませんでしたし、
理解するための環境でもなかったように思います。

監督の権力は絶対で、それに従うばかり。

昨今、パワハラなどが問題になっていますが、当時はそんなものありませんでしたからw
絶対権力の独裁政治です。

昔の体育会系ってそんなもんですよね。

部員間でも学年で絶対に逆らうことはできませんでしたから。

3年は神
2年で人間
1年は奴隷

なんて言われたりもしていました。

その上に君臨するコーチや監督はもはや神以上の存在ですw

 

高校でのラグビーの戦績

最終的に、全国大会ではシードながらベスト16止まりでした。
膝も壊しており、万全の体制ではなく最後の試合もフル出場は叶わずでした。

同期の多くは、大学でもラグビーを続けるため推薦で進学していました。

しかし、私は大学のスカウトが多く来る大会に怪我で出場しておらず、
推薦での進学はできませんでした。

大学でも絶対にラグビーやると決めていたわけでもなく、どうしようかと悩んでいました。

長期的に考えて、ラグビーはプロがなかったので
ずっとラグビーを続けていくのは現実的ではないと考えたのです。

そうなると、就職まで考えて進学先を考える必要がありました。

学校の枠で指定校推薦が選べる大学がいくつかあり、その中にあった学校を選びました。
とある県の私立大学でした。

その地域では比較的名の知れた大学で、就職率もよかったのでそこにし
学力と生活態度で評価していただき、無事に指定校推薦を受けることができました。

ラグビー部の中でも学力はいい方だったので、成績はそこそこ良かったのですw

指定校推薦で無事に合格することができ、センター試験を受けることなく
大学への進学が決まりました。